2011年11月12日土曜日

   
 
  
―あなたのピアノ演奏は、音楽の喜びに満ちあふれていると強く感じます。あなたが演奏される時は、まるで別人になってしまったかのような感じすらもします。


 ピアノを演奏する時、私は私から離れ、ここにいながらにしてここにいないのだと思います。完全に音楽の世界の中に入りこんでいる。演奏や音楽について考えるときは、優れた作曲家たちが作り上げた数々の音楽が、複雑なネットワークとして結びつけられています。それは他の人にはなかなか伝わらない、とても抽象的で想像的な世界です。
 しかし、演奏はたえず現実的な抵抗感との対話ですから具体性を持っています。音楽を動かしているのは他でもない私であり、だからこそ強い充実感を感じることができる。
 けれども、その充実感がたまに虚しくもなります。
 目が覚めた時やピアノを休んで家でなにもしていない夜とかに、ふと、虚無感に襲われる。私は私の人生をどれだけ生きているのかしらと。このようなことは誰にでも起こることなんだとは思うんですが、私はまるでリアル世界から離れて、ずっと白昼夢を見続けていると感じるのです。音楽を抜いてしまえば私はまったく面白みのない人間ですからね。

―でも、あなたはピアノを弾くことによって、あなたの現実を動かしていますよね。ピアノを弾くことはあなたにとって仕事以上のものを得ることができている。人々を感動させてもいる。と同時に仕事となっているわけです。ですから、音楽にのめり込んでいくこととは、あなたがあなたの人生を生きていることなのでは。

 そう、それは間違いではありません。そして、私は他の人よりも、自分の人生に興味がありません。結婚や子供とか家庭を作ることにも興味はあまりないし、生活の細かなことや人間関係に煩わされることも極力避けていきたい。音楽だけに集中したいんです。
 でもたとえばピアノを弾きたくない、音楽のことなんか考えたくないときは、私にもあります。そのとき私はなにをしたらいいのか、何を考えたらいいのかまるでわからないことがほとんどです。
 誰かに電話をかけたいと思う。たとえば、それが音楽と生活の中間にあるようなことについて話をしたいと思う。その時、私は誰に電話をかけたらいいのかわからないことに気がつくのです。それは友達がいないのではなく、私は音楽を抜きにした自分に対して、何も考えていないから対処の仕方がわからないのです。音楽の外の感情に対する言葉を私はあまりに持ち合わせていないんだと。
 私はそのとき、自分の感情を取り出す手立てがないという歯がゆい気持ちになります。音楽ではいろいろな感情を引き出すことができるのに、どうして外ではこれほど拙いのだろうと。
 私の人生の物語は、ピアノを弾いている時には一時停止しているということなのだと感じたんです。私は何時間もピアノ練習に費やし、朝から晩まで音楽に向かいつづけている。ピアノを弾いていないときでも私は音楽のことを考えているし、他の人の演奏を聴いている。このことは、ある意味ではとても恐ろしいことなんじゃないかとも思うんです。

―優れた女優さんにもそういう方はいらっしゃいますね。無趣味で、演じていないときは無になるというような。

 私は仕事をすることによって、自分が生きている世界とその中での自分について考えないですんでいます。周りの人もそれを良しとしてきましたし、誰も私にもうピアノを弾くとか音楽についてそれ以上のめり込むなとは言いません。彼らは、私が私の演奏だけによって世界に存在しているということを認めてきました。

―それは非常に恵まれたことでもありますよね。

 そう思います。私はこうしか生きられませんし。勘違いしていただきたくないのは、私は音楽をただ技術的なものとして理解しているわけではありません。技術的な理解だけでは越えられないものがある。音楽にはさまざまな感情が含まれそこの中に充分な世界の広がりが、広すぎるくらいの広がりがある。私はそれをよく知っていますつもりです。
 ただ、それは現実的なものの比喩としてではありません。結びつきはあるけれど同じではない。英語を理解できる人は、日本語に訳し直すことはせず直接理解しますよね。それと同じで、私は音楽で描かれる世界を現実の何かに翻訳することはしません。

―音楽の中に生きる答えというものを見つけたと感じるときはありますか。

 そうですね。音楽は確かに答えを教えてくれる。音楽は裏切らない。ただ、音楽が流通、受容される時には違うことがいくつも起こります。私はそう行った類いの事柄についてはいっさい関心がありません。演奏の中にしかない真実というものがあるのです。しかし、それは根本的には空虚なものだとも思うんです。


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