2019年6月20日木曜日

淘汰後の時代


●優生学2.0の必要性
「当時の日本の少子化は大きく考えると正しかったと思います。かつ弱者の切り捨ては、理想的な過程を踏みました。日本人は世界的に見ても例外といえるほど従順で理想的な封建社会です。ただ、この物分かりの良さは、競争力や生命力の弱さにつながっており、他国との競争においては弱体化しか生みませんでした。縮小がただの縮小になってしまった例として語られています。
 われわれが生き残っていくためには近代の道徳や民主主義的な道徳を捨て去る必要があります。日本はそれがとてもうまくいったわけです。当時の政府のやり方は巧妙でしたが、他の先進国では通用しない方法だったかもしれません。
 国家という形態が残る限り、正確な優生学とその方法の確立が必要です。どのように淘汰をすすめるべきなのかです。国家の弱体化に繋がるような弱者切り捨てであっては意味がありません。恣意的であれ、優生学には方針を決める必要がありました。純粋な経済的階級なのか、人種なのか、民族なのか、国籍なのか。国民の支持を得るには線引きが必要なのです。
 いかなる選択であれ、国家の弱体化は避けなければいけません。正確にはそれを最小限にすることです。国外に目を向けることも可能です。これは確かにとても難しい問題でもあります。ゆえにここは粘って考える必要があったにも関わらず、日本人は「物分かりの良い人々」だったんですね。それは清々しくもありますが、彼らが可能性を手放してしまった要因でもあります。アメリカの存在も大きいでしょう。とにかく私たちが生き残っていくためには、国家が弱体化しないような淘汰とその選択が前提です。」

●シンギュラリティ
「資本主義は可能性として上限を迎えました。私たちは新たな方針を持って、国家や社会の地位を安定させていかなければなりません。大半の労働者は、AIなどのテクノロジーによって十分代替可能になりました。あとは、彼らには極力エネルギーを消費することなく人生を過ごしてもらう事です。それは概ねうまくいっています。マリファナの合法化は正しい選択でした。彼らはそれに満足しています。」

●今後の芸術・文化はいかなる方向に進めば良いのでしょうか。
「人口増加によって破壊された地球環境を見たら、われわれ人間はがん細胞と同じだとわかります。近代は、がん細胞に人権を与えようとした時代です。これは非常に無責任で人間中心主義以外の何物でもない。人間の責任とは、国家の枠を超えて世界的に人口を管理していくことにあります。国家間の合意を取るためにも優生学は必要なのです。そこで生まれる戦争というのは、大した問題ではありません。むしろ好都合です。
 そして、近代の道徳観や理想を形作ってきた文化や芸術は、社会の害悪以外の何物でもありません。歴史としても消去する必要があります。では、国民にどのように促せばいいのか。これについては徹底的にそれらを飽きさせ、時代遅れのものに見せる事です。無知というのは素晴らしい効力を持ちます。近代的な精神を排除したコンテンツに人々は順応し楽しむようになりました。彼らはもう作品という概念ではなく、枠の中で自分の姿を見て楽しむことで時間を消費しています。」

●人々の正義感や道徳心を完全に消すことは可能でしょうか?
「これは確かに完全には不可能です。社会的なエラーというものはある程度必要なんですよ。そこに何らかの活性化が生まれます。資本主義が終焉を迎えたからといって、落差やエラーは今もある程度は必要なのです。ですから、完全に社会をコントロールする必要はないとも一方で思っているんですね。こう言えるのは10年前から始まった大胆な世界人口縮小化が実施されていることが大きいです。これによって人類は、わずかな延命処置と希望を手に入れました。これは誰にも否定することのできない事実ではないでしょうか。ジェノサイドという方法が、怨恨を残すことなく行えるようになったのも21世紀の重要な発明だと私たちは考えています。」