2011年1月19日水曜日

切手の変相



われわれの選択は、つねに、なされてしまっていることに注意しよう。われわれは選んでからあとで熟考するのだ。なぜなら、知る以前に選ぶのだから。一つの職業を仮定しよう。いったいどのようにしてひとはそれを選ぶのか。その職業を知る以前に選ぶのである。こうした選択において、わたしはまず第一に、警戒を怠らぬにもかかわらず起る不注意を、われとわが身を欺いていく一種の陶酔を見るのだ。それはあたかも結婚に際してしばしば見られるごときものだ。しかし、そのような不注意の中にまた人間本来の条件をも見る。けだしひとが一つの職業を熟知するのは、それを長年行なったのちにおいてのみであるから。要するに、われわれの意志は、それがどれほど合理的なものであろうとも、いささかも合理的でない選択から、その能うかぎりのものを救おうと気をつかっているのである。ゆえに、われわれの選択はつねにわれわれの背後にあるのだ。それはちょうど水夫が、一度出発を選んだのちに、浪と風に折り合おうとするのに似ている。  ※1




















  
   *

こちらへおいで。君、基盤ある生活をお望みで?

   *

僕は正直に言うと、こんな議論を始めるのがいやで堪らないんです。

   *


六十歳に及んで知ったことを、私は二十のころ早くも充分に知っていた。
四十年という、この長長しい、なくもがなの検証の歳月……  ※2

   *

電話だよ!野原で電話がなってるよ!

   *

必要な勇気と不必要な勇気は違うのよ。


   *

私が自由だってこと、あなたはご存知ないでしょうね。

   *

ほら、あの人が通り過ぎて行った。
なんて優雅で単純なんだろう。

   *


目をつむれば泉
口を閉じれば池
耳をおおえば海

   *

待ちぼうけをくわされる方がいいんだよ……
ねえ、むこうに何が見えるのかい?

   *
   











※1「プラトンに関する十一章」アラン 森進一訳
※2「生誕の災厄」E.M.シオラン 出口裕弘訳






collaborated with Izumi Taki